文人たちが通い、思索した天空のリゾート。
六甲山は明治時代、居留外国人によってリクリエーションの場として開発されました。瀬戸内海国立公園に指定されている「六甲山」には、四季折々の樹々や野生の花、鳥や動物たちが生息する表情豊かな自然が広がっています。
阪神間の町並みや瀬戸内海を見渡す標高931mの山は、最上の眺望で知られ、海と山の食材に恵まれた美味の宝庫です。人生を楽しみたい者は皆、六甲山へ登ってきます。六甲の自然は、一度知ったら逃れられない魔力を秘めています。
六甲山サイレンスリゾートの歴史
HISTORY
時代を超えて愛される六甲の伝統と歴史
六甲⼭麓は古くから、⼤阪城を始めとして多くの城の⽯材を切り出した場として知られています。積出し港の地名がついた御影⽯は花崗岩の中でも特に固く、その美しさから最⾼級の希少な⽯として世界中から求められています。
明治時代、六甲⼭は居留外国⼈たちによってリクリエーションの場として開発され、⼭荘が建ち、⽇本で最初のゴルフクラブ「神⼾ゴルフ倶楽部」も誕⽣しました。
昭和に⼊り、1934年六甲⼭は瀬⼾内海国⽴公園として、雲仙、霧島とともに⽇本初の国⽴公園に指定されました。
1929年 六甲山ホテル開業
In 1929 , Rokkosan-HOTEL Opened.
名門 六甲山ホテル
1929年、この地に宝塚ホテルの分館として誕生した六甲山ホテルは、その後長年にわたって人々に愛され続け2007年には国の近代化産業遺産に認定されました。ホテルのゲストブックには、多くの文化人や著名人が名を連ねています。
しかしながら建築から100年近くの時が過ぎ、耐震に対する劣化などの理由でホテルはクローズ。
その後、建造物を壊すことなく修復するという前提のもと、2017年に八光自動車工業株式会社が六甲山ホテルの歴史と事業を継承、修復工事に着手しました。
六甲山サイレンスリゾートへ
ARCHITECTURE
建築界の巨匠ミケーレ・デ・ルッキ
旧六甲山ホテルの修復を手掛けたのは建築界の巨匠ミケーレ・デ・ルッキ。彼の手による再設計と約2年の修復工事を経て「六甲山サイレンスリゾート」として開業当時の美しさが蘇りました。
この「修復」は、イタリアの知恵と修復技術が日本独自の工芸技術と融合し、今後の世代へ文化遺産を継承するための大切な、しかし複雑で大がかりな事業です。
ミケーレ・デ・ルッキが自ら設計しディレクションする「六甲山サイレンスリゾート」は、六甲を初めとして日本企業のオピニオン・リーダーとなるべく、環境と自然への敬意と配慮に真摯に取り組んでまいります。
2019年 六甲山サイレンスリゾートが誕生
In 2019 , Rokkosan Silence Resort Reborned.
六甲山サイレンスリゾート
現在の六甲山サイレンスリゾートには、スイーツと軽食を中心とした旧館カフェテリアと、絶景を望むテラス席でのBBQや鉄板焼きができる空のダイニングという2つの施設があります。
旧館はレストランの他、アーカイブ・ギャラリーなどの展示スペース、イベントホール、ミーティングルーム、プレイルーム、ギフトショッピングコーナーからなる複合施設となっています。